私は仕事柄、多くの高校生や大学生のアルバイトと関わりが多い。当然、高校生や大学生は卒業していくので毎年のようにアルバイトを雇うわけだが、彼らが決まって使う言葉が「~じゃないですか」である。
別に私は彼らに対して完璧な言葉遣いを求めているわけではないし、私自身も完璧な日本語を使えているとは思っていない。しかし、この「~じゃないですか」には非常に違和感を覚える。なので今回は、なぜ若者は「~じゃないですか」を使うのかを考えていこうと思う。
「~じゃないですか」を使う必要性
まず最初に考えたいのが、この言葉は果たして本当に使わないといけない言葉なのかどうか?という点だ。
この言葉の使い方は「この近くに○○ってお店があるじゃないですか」や「昨日大雪だったじゃないですか。だから○○出来なかったんですよ」などだろう。他にも「ほら、僕昨日風邪引いてたじゃないですか」などいろいろな使い方があるが、別にこれらの言葉は「~じゃないですか」を使わずとも、「お店があるじゃないですか」なら「お店をご存知ですか?」で良いし、「大雪だったじゃないですか」なら「大雪だったので」のほうがスマートだ。
若者の会話を聞く限り、どうしてもこの言葉の必要性があるようには思えない。
自己主張をしたくないという風潮
使う必要性が必ずしもあるとは言えないこの言葉を使う理由はやはり、「自己主張をしたくないから」だろう。こんな会話を聞いたことは無いだろうか?
A「~って、○○じゃん?」 B「だよねー!!!わかる~」
嫌というほど良く聞くフレーズだ。最近だと「ですよねー」も多い。これらの会話に見え隠れするのは「こう思っているのは私だけじゃない」という安心感を得たい思いだ。孤立したらどうしようという恐怖心から、自分の意見を周りに合わせようとする。トレンドファッションなどがその最たる物で、世の中の女子たちは今年の冬のトレンドは何だ、今年の春のトレンドは何だと最新ファッションを常に追いかけ、皆同じような服装をする。「みんな」がセンスが良いと言えばセンスが良いと思い、「みんな」が美味しいと言えば美味しいと思うのだ。
つまり、「~じゃないですか」を使う理由は、「~ですよね?あってますよね?」と相手に同意を求めて、相手がそれを肯定する事に安心感を得たいからだ。
これは別に若者に限ったことではなく、日本人の多くは「~だ」とか「こう思う」などと断定はせず、常に相手を反応を見ながら話しを進めていく。日本の社会では自分の意見を貫く人より、周りの意見に同調する人の方が好かれる傾向にある。ネットなどでも「~だ」と主張すると「勝手に決め付けんなよ」とか「いや違うでしょ」と叩く人は一定の割合で存在する。
最後に
言葉のキャッチボールと良く言うけれど、今の現状はキャッチボールというよりは、風船を皆で追いかけているようなものだ。さまざまな風船が空を舞い、その風船に人が集まる。より多く集まりだした風船をA、あまり集まっていない風船をBとする。するとどうだろうか。あまり集まっていなかった風船Bの周り人たちが風船Aへ流れていく。そしてますます風船Aの周りに人が増えていく。その風船Aを「みんな」で「割らない」ようにそっとタッチをし合いながら、最も人を集めた風船Aの周りにいる人たちは思うのだ。これが「一番良いもの」なのだと。