癒されたい味のりのブログ

あなたに【笑える一時】と【真面目に考える時間】を提供します 。

母親が亡くなった時の話

人気記事セレクション

スポンサーリンク

これは今から10年以上前、僕がまだ高校生の時。

僕が高校生の時に母が倒れ、病院での検査の結果、乳がんである事が判明した。それも初期ではなくだいぶ進行しており、乳房は手術で取り除かなければならなかった。母は今まできちんと会社の健康診断を受けていたのも関わらず、乳がんは発見されなかった。会社の健康診断というものは適当で当てにならないとこの時知った。

母は放射線治療によって、髪の毛も全て抜け落ちた。乳房や髪の毛を失う事は女性にとって耐えがたい苦痛だったと思う。

母は次第にやせ細り、歩く事すらできなくなっていった。家では1日中ほぼ寝たきりの状態だった。そんな状態でも母は家事をやろうとしていた。

ある日、僕が2階から降りていくと、母は這いつくばりながら洗濯物を干していた。僕は「そんな事はやらなくていいよ、僕がやるから」と伝えたら、母は泣きだし、僕に「ごめんね。ごめんね。何もできなくて。ごめんね」と謝った。

こういう時とっさに言葉が出てこないもので、僕は「そんな事ないよ」と一言だけ言うの精いっぱいだった。

それからしばらくして母はどんどん弱っていき、ガリガリにやせ細ってしまった。癌については良く知らないのだけれども、母は毎日体が痛い痛いと言っていた。

薬も毎日飲まなければならず、「薬を飲みたくない」と拒否する日もあった。母は昔から愚痴をこぼした事は無いし、嫌な事も進んでするような人だったけれど、病気になって少し子供っぽくなったと思う。別にそれが嫌だというわけではなく、少し可愛らしいとさえ思った。

僕は「ちゃんと飲まないとダメだよ。早く良くなるように頑張ろう」と母を励まし薬を飲ませていたが、自分はとてもひどい人間だなと思った。

母の癌は体の様々な場所に転移しており、脳にも転移していた。脳の腫瘍の摘出手術は行っており、母には全て綺麗に取り除けたよと伝えていたが、実際には違った。脳の腫瘍は完全には摘出できなかった。

そう・・・腫瘍は脳内に残ったまま。完治は不可能だったのだ。

余命もそんなには残されていないと医者に言われた。それが半年後か1年後かはわからないけれど、もう長くは生きられないと。

それを母には伝えていなかった。

全てを知った上で僕は嘘を付き続けた。

「そうだ。病気が良くなって元気になったら旅行に行こう。どこか遠く。静かな場所がいい。」と母に言った時、母がどこに行こうかと一生懸命考える姿を見ながら、僕は泣きそうになるのをこらえ、表情には出さないようにした。

それが叶う事のない夢だと知りながら偽りの希望を与えた僕はやはり間違っていただろうか。

どうすれば良かっただろうかと今でもよく考える。もう長くは生きられない事を伝えた方が良かったのだろうか。僕だったらどうだろうか。偽りの希望の中で死んでいくのか、自分が死ぬという現実と向き合って生きていくのか。何が正解だったんだろう。

その後、母は容体が悪化し、入院する事になった。

入院した母は会いに行くたびに、家に帰りたいと言ってた。それを聞くたびに、僕は辛い気持ちになったがこればかりはどうしようもない。ただ、どうせ死ぬのなら最後は家に居させてあげたいなと思っていたが、それが叶う事は無かった。

母との最期の会話は今でも覚えている。

病室に会いに行った時に、母は僕に

「ごめんね。母さん頑張ったよね。もう辛いの。だから、死なせて欲しい」

そう言った。

そして、一言

「大好きだよ」

そう言った。

僕は、何も言わなかった。

きっと恥ずかしかったんだと思う。自分の母親に「好きだよ」なんて言えなくて、「何言ってるんだよ」とはぐらかしてしまった。

その日の夜、母は亡くなった。

僕は今でもずっと後悔している。

母にちゃんと「僕も大好きだよ」と伝えれば良かったと。